本編では、厳しい世界を生き抜いた持統天皇の強い女性像に焦点を当て、彼女のさまざまな魅力を引き出してきましたが、続くこのコーナーでは歴史好きとして知られる山崎怜奈さんのパーソナリティーにフォーカス。歴史に興味をもったきっかけから歴史を学んだことで得られた人生観まで、山崎さんが考える歴史の魅力を、今回のために撮り下ろした写真とともに紹介していきます。
小学生の頃にNHKの大河ドラマを見たのがきっかけです。学校の教科書で歴史を学んでいるときは、「これは勝者の歴史だ」と漠然と思っていたので、あまり関心がもてなかったんですよ。そんななか、小学4、5年生の頃に大河ドラマの『篤姫』に出会いました。教科書には載っていない歴史上の人物をフィーチャーしていたのが新鮮で、学校の授業とは違う歴史の見方があるんだなと新しい視点をもつことができました。
学校で習う日本史は、まず第一に用語や単語を覚えなきゃいけないので、楽しんでいる余裕はありませんでした。でも、中学生のときに教わった日本史の先生との出会いが、歴史に深くのめり込むきっかけを与えてくれました。
壬申の乱や応仁の乱の解説のときに、セリフを交えて芝居のように説明してくれたんですよ。当時の人たちも争いごとを回避するために話し合いを重ねたけれど、結果として決裂してしまい、戦いになるという流れを、授業で再現してくれたんです。昔の人も理不尽な目に遭っていたことがわかったし、先生の芝居はまるでショートコントを見ているようで面白かったですね。教科書に書かれていない歴史の余白を学生時代に楽しめたのは、本当に良かったと思います。
決して公言はしていないんですよ。ただ、職業柄、自分の一部を切り取っていく仕事なのかもしれません。好きなことや得意なことをプロフィールやブログに書いていたら、関係者の方々が目に留めてくださり、日本史の専門家の方と対談したり、歴史をテーマにした番組に出演させていただくなど、活動の幅が広がっていきました。
それは難しい質問ですね。飛鳥時代とか、安土桃山時代といった具合に時代ごとに区切るというよりは、私は人物にクローズアップして調べるのが好きなんですよ。強いて言えば幕末が多いでしょうか。
私は大きなことを成し遂げた人よりも、たびたび失敗を繰り返したりと、人間臭いエピソードがある人が好きかもしれません。例えば、長州藩士で松下村塾にも通った久坂玄瑞は、倒幕運動のリーダーにまで上り詰めた逸材です。ところが、最後は朝廷を怒らせてしまい、自害して果てることになるのが哀愁を誘いますね。一方、同じ長州藩士の桂小五郎は新選組に捕えられたりと、数々の修羅場を潜り抜け、刀を抜くことなく逃げ延びたので後世では「逃げの小五郎」などと揶揄されていますが、たびたび名前を変えてまでしてしぶとく生き延び、最後は明治維新をやり遂げたというスタンスが好きです。幕末はさまざまな人物が入り乱れていて面白いです。
お仕事で「歴史好きの視点で話してください、語ってください」とお願いされることが増えました。私は漫画家や小説家のような創作者とも違いますし、歴史の専門家でもありませんが、私がテレビや雑誌、SNSなどで歴史の話を語ることで、ファンの方たちや応援してくださる方たちの興味や関心の幅を広げることができていたとしたら、嬉しいですね。
乃木坂46時代のお仕事は団体行動が多く、単独行動は難しかったので、あまり行けていなかったですね。ただ、プライベートではふらりと一人旅に出かけることもあります。中でも、伊勢神宮や、地域自体が観光で盛り上がっている金沢も好きです。金沢城では定番の石川門だけでなく、色紙短冊積石垣と呼ばれている短冊積みの石垣など、他の城では見られない見どころが多いんですよ。お城巡りと言えば、姫路城や犬山城なども好きです。
姫路城や彦根城などは、特にオススメですね。天守に破風(※)がたくさん取り付けられているので、見た目の煌びやかさばかりが注目されがちですが、実は防御力も優れているんですよ。特に彦根城は本丸へ向かう途中の橋が崩せるようになっていて実戦を意識した造りになっていますし、壁に開けられた狭間(※)や、行き止まりの道があるなど、工夫が凄い。城巡りの楽しみは、自分が武将になった気分で、攻めることを想定して向かうといいんです。鉄壁の防御を見て、「この城は絶対に落とせない!」と絶望しています(笑)。城って、人間が必死に生き抜こうとした形跡が見られるので、ついつい築城に関わった人々をリスペクトの眼差しで見てしまいます。
持統天皇は日本という国の在り方を作った人としての業績が目立ちますが、私は彼女の生き方にも注目したいと思っています。そもそも彼女が生きていた時代は、女性が生きるには相当にしんどかったと思います。さらに家族構成を見ても、天智天皇、天武天皇、藤原不比等と、時の権力を掌握する強者揃い。そんな人々に囲まれた持統天皇は、並大抵の人間では背負えないような重責を担う立場にいたはずです。
持統天皇が伊勢神宮の式年遷宮を始めたのは、自身を天照大御神に重ね合わせ、孫への皇位継承を正当化すべく天孫降臨(※)のストーリーを印象づけたかったから、という研究があると聞き、気になっています。しかし、それほどの大胆なことをしてまで皇位を継がせようとしたのに、息子や孫は早死にしてしまいました。それでも持統天皇は強い意志を持ち、波乱の時代を生きたのです。私はあんな風には生きられないし、もしあの立場になったら苦しくて、死んじゃうと思いますね(笑)。
持統天皇が遺した歌、『春過ぎて夏来たるらし白たへの衣ほしたり天の香具山』からは、季節の移り変わりの表現や、時間の移ろいや日常の情景に美しさを見出す感性が優れていることがわかりますよね。持統天皇の歌を収めた『万葉集』は奈良時代に男女の歌を一緒に収録していた歌集でしたが、これは当時の世界的にみても珍しいことだったみたいです。男性も女性も対等な立場で政治を動かし、そして豊かな文化まで開花させた。その中心にいた人物が、持統天皇なのかなと思いました。
持統天皇の生涯を映像作品で見られる機会があったら、ぜひ見たいと思っています。ただ、彼女の周辺では天皇家の揉め事が数多く起こっていますし、建造物や衣服などの生活感を少ない資料をもとに再現しないといけないので、大河ドラマの題材にするには難しいのかもしれません。とはいえ、壬申の乱以降の持統天皇の生き方を見ると、政治家としても、文化人としても、魅力的な女性だと思います。
明らかになっている部分だけを見ても波瀾万丈だと思いますが、より解明が進んで、持統天皇の成し遂げた業績の評価が確立されるといいなと思います。私は「政争の狭間に立たされたときの彼女は、どんな気持ちだったのかな?」と考えることがあります。今後、研究や発掘が進むにつれ、憶測でしか語られていなかった史実が明らかになっていくのが楽しみです。
まだ行ったことがないので、ぜひ行ってみたいです。寺院や建物の位置や距離感を調べてみたいですね。どこをどう経由して資材を運んだとか、この寺院が強大な権力を持っていたといった地政学的な視点で、明日香村を見てみたいです。
私は持統天皇がどんな思いで和歌を詠んだのか、気になります。特に気になるのが、大和三山の香具山ですね。明日香からは香具山が望めるそうですが、現地の景色に立ち、持統天皇が思いを馳せた視線の先を見てみたいと思っています。
歴史は、人間の多面性を学ぶことができる学問だと思っています。どんなに偉大な業績を上げた人でも、実はとんでもない失敗を犯していることもあるし、「人としてどうなのかな?」というネガティブなエピソードが残されていることもあります。これらを学び、さまざまな人の生き方に触れることで、生きていればどうにかなる、失敗も経験として受け止めれば財産になると、ポジティブに考えられるんです。歴史を学ぶことで、コンプレックスなどのいろいろなモヤっとした気持ちを捨てて、前向きにもなれると思っています。大きな業績を残した歴史上の人物も意外と些細なことでくよくよしているし、そもそも歴史はさまざまな出来事の繰り返しでもあるので、小さな事で悩んでも仕方がないなと。歴史を学ぶことである種の達観した気持ちになれる、前向きに諦めていけるのが一番のメリットかなと思いますね。