日本書紀につづられているのは、この世界に誕生した日本が、さまざまなできごとを経て、争いながらも人々がまとまり、国家としての日本のかたちができあがるまでの雄大な物語です。
一見難解な物語を少しでも理解し、興味を持ってもらえるように、日本書紀の内容をギュギュっと!まとめたコンテンツを作ってみました。
日本創世の歴史を是非ご覧ください。

国のはじまりと都の創設
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夫婦の神、イザナギとイザナミから日本の島々が生まれ、太陽の神・アマテラスが生まれました。

国のはじまりと都の創設
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アマテラスの孫のニニギは、天の国から地上へと行くことを祖母のタカムスビに命じられ、地上の国九州へ降り立ちます。

国のはじまりと都の創設
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ニニギのひ孫のイワレヒコは、都をつくるのによい場所を求めて九州から東へと旅立ちます。旅の途中では多くの困難や戦いがありましたが、従者たちの働きもあって橿原の地に都を構えます。
このイワレヒコが初代天皇である 神武天皇 じんむてんのう です。

国をまとめる力
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第10代 崇神天皇 すじんてんのう は、 畿内 きない の外へと勢力を広げるべく北陸や東海、西日本へと4人の将軍を派遣しました。国をさらに豊かにすべく平定への道はしばらく続きます。

国をまとめる力
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「大和は国のまほろば」と詠んだ 日本武尊 やまとたけるのみこと 崇神天皇 すじんてんのう のひ孫にあたり、東北から東海の地の平定に力を尽くしました。このようにして、 畿内 きない だけでなく九州から東北に至るまで勢力を拡大しました。

国をまとめる力
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国内の治政だけでなく、朝鮮半島にある 百済 くだら 新羅 しらぎ 高句麗 こうくり とも交流を行い、国はますます豊かになります。

新しい文化との出会い
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時代が進むと、 天皇家 てんのうけ 豪族 ごうぞく たちによって支えられ、 豪族 ごうぞく 間の権力争いが発生します。

新しい文化との出会い
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百済 くだら から伝えられた新しい仏教を推し進める 蘇我 そが 氏と、日本在来の神々の怒りを恐れて反対する 物部 もののべ 氏の間で争いが起こりますが、 蘇我 そが 氏が勝利し、権勢を誇ることになります。

新しい文化との出会い
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蘇我 そが 氏と血縁関係があった 聖徳太子 しょうとくたいし は、この戦いに勝利することで、仏教を熱心に信仰し、新しい文化や制度を積極的に取り入れようと「 十七条憲法 じゅうしちじょうけんぽう 」や「 冠位十二階 かんいじゅうにかい 」といった制度をつくります。

新しい文化との出会い
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また中国( ずい )にも遣いを送り、対等の立場での国交を求めて、国際的な地位を確保しようとしました。その後はじまる 遣隋使 けんずいし 遣唐使 けんとうし によって、海外交流による新たな文化がどんどん入ってきます。

新しい時代の幕開け
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あまりにも大きな 蘇我 そが 氏の力に脅威を抱いた 中大兄皇子(天智天皇) なかのおおえのおうじ(てんちてんのう) は、国を正しい方向に導くためには、 朝廷 ちょうてい 中心の政治にする必要があると考えました。

新しい時代の幕開け
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意を決した 中大兄皇子 なかのおおえのおうじ 中臣鎌足 なかとみ の かまたり と共に、朝鮮半島からの使節を迎える儀式に乗じて、 蘇我入鹿 そが の いるか を討ちました。 その父で大臣の 蘇我蝦夷 そが の えみし も自殺し、邸宅は焼失。 蘇我本宗家 そがほんそうけ は政治の表舞台から消えました。 乙巳の変 いっしのへん 大化の改新 たいかのかいしん ) からまもなくして、日本で初めての 元号 げんごう が定められ、 皇極天皇 こうぎょくてんのう の4年を改めて 大化 たいか 元年としました。

新しい時代の幕開け
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朝廷 ちょうてい を中心とした改新政治を行った 天智天皇 てんちてんのう が病に倒れると、 天智天皇 てんちてんのう を支えていた弟の 大海人皇子(天武天皇) おおあま の おうじ(てんむてんのう) は、後継者争いの混乱を避けるために吉野へと身を隠します。

新しい時代の幕開け
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天智天皇 てんちてんのう が亡くなると、後継ぎは息子の 大友皇子 おおとも の おうじ か、はたまた弟の 大海人皇子 おおあま の おうじ かで世論が二分します。 その後、 大海人皇子 おおあま の おうじ は、 大友皇子 おおとも の おうじ を後継者として推す臣下らが自分を討とうとしていることを知り、兵を挙げます。

新しい時代の幕開け
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そして対抗する 大友 おおとも 軍を制圧し、 大海人 おおあま 軍が勝利しました。( 壬申の乱 じんしんのらん )

国家日本の曙
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この戦いに勝利した 天武天皇 てんむてんのう は、都を 飛鳥 あすか うつ し、 朝廷 ちょうてい を中心にした改新政治をさらに力強く推進しました。天皇自らに政務を集中させ、日本の国をしっかりと統治しようとしました。

国家日本の曙
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天武天皇 てんむてんのう は、役人の位を明確にして、能力のあるものを積極的に重用するようにするなど、新しい制度を確立するために法律や仕組( 律令 りつりょう )の整備にも力を注ぎました。

国家日本の曙
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こころざし 半ばで 天武天皇 てんむてんのう はこの世を去り、そのあとを継ぐ 皇后 こうごう 持統天皇 じとうてんのう が即位しました。   持統天皇 じとうてんのう は、 飛鳥浄御原令 あすかきよみはらりょう を完成させ、さらに発展させた、 大宝律令 たいほうりつりょう 編纂 へんさん も進めました。

国家日本の曙
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天武天皇 てんむてんのう の思いに寄り添うように、 持統天皇 じとうてんのう はさらに、戸籍の整備や、国の中心となる都( 藤原京 ふじわらきょう )の造営を行い、日本は国家としての歩みを始めることになりました。
さらに、繁栄を誇る中国( とう )へ使節を送り、先進文化を積極的に取り入れて、国家としての日本の基盤を固めることに邁進していきます。
日本書紀の歴史物語に続いて、現在に至るまでに、さまざまな歴史が刻まれましたが、日本書紀に記された時代にできあがった日本という国のかたちは、その根本は変ることなく、わたしたちの時代にまで伝えられています。
2020年には日本書紀が成立して1300年になります。
この機会に、国を創りあげようとした古代の人々の想いや願い、そしてそれらを下支えする熱量を感じてください。