1
2
3
4
5
日本書紀につづられているのは、この世界に誕生した日本が、さまざまなできごとを経て、争いながらも人々がまとまり、国家としての日本のかたちができあがるまでの雄大な物語です。
一見難解な物語を少しでも理解し、興味を持ってもらえるように、日本書紀の内容をギュギュっと!まとめたコンテンツを作ってみました。
日本創世の歴史を是非ご覧ください。
目 次
1
国のはじまりと都の創設
2
国をまとめる力
3
新しい文化との出会い
4
新しい時代の幕開け
5
国家日本の曙
1
国のはじまりと都の創設
-1
夫婦の神、イザナギとイザナミから日本の島々が生まれ、太陽の神・アマテラスが生まれました。
1
国のはじまりと都の創設
-2
アマテラスの孫のニニギは、天の国から地上へと行くことを祖母のタカムスビに命じられ、地上の国九州へ降り立ちます。
1
国のはじまりと都の創設
-3
ニニギのひ孫のイワレヒコは、都をつくるのによい場所を求めて九州から東へと旅立ちます。旅の途中では多くの困難や戦いがありましたが、従者たちの働きもあって橿原の地に都を構えます。
このイワレヒコが初代天皇である
神武天皇
(
じんむてんのう
)
です。
2
国をまとめる力
-1
第10代
崇神天皇
(
すじんてんのう
)
は、
畿内
(
きない
)
の外へと勢力を広げるべく北陸や東海、西日本へと4人の将軍を派遣しました。国をさらに豊かにすべく平定への道はしばらく続きます。
2
国をまとめる力
-2
「大和は国のまほろば」と詠んだ
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
は
崇神天皇
(
すじんてんのう
)
のひ孫にあたり、東北から東海の地の平定に力を尽くしました。このようにして、
畿内
(
きない
)
だけでなく九州から東北に至るまで勢力を拡大しました。
2
国をまとめる力
-3
国内の治政だけでなく、朝鮮半島にある
百済
(
くだら
)
や
新羅
(
しらぎ
)
・
高句麗
(
こうくり
)
とも交流を行い、国はますます豊かになります。
3
新しい文化との出会い
-1
時代が進むと、
天皇家
(
てんのうけ
)
は
豪族
(
ごうぞく
)
たちによって支えられ、
豪族
(
ごうぞく
)
間の権力争いが発生します。
3
新しい文化との出会い
-2
百済
(
くだら
)
から伝えられた新しい仏教を推し進める
蘇我
(
そが
)
氏と、日本在来の神々の怒りを恐れて反対する
物部
(
もののべ
)
氏の間で争いが起こりますが、
蘇我
(
そが
)
氏が勝利し、権勢を誇ることになります。
3
新しい文化との出会い
-3
蘇我
(
そが
)
氏と血縁関係があった
聖徳太子
(
しょうとくたいし
)
は、この戦いに勝利することで、仏教を熱心に信仰し、新しい文化や制度を積極的に取り入れようと「
十七条憲法
(
じゅうしちじょうけんぽう
)
」や「
冠位十二階
(
かんいじゅうにかい
)
」といった制度をつくります。
3
新しい文化との出会い
-4
また中国(
隋
(
ずい
)
)にも遣いを送り、対等の立場での国交を求めて、国際的な地位を確保しようとしました。その後はじまる
遣隋使
(
けんずいし
)
や
遣唐使
(
けんとうし
)
によって、海外交流による新たな文化がどんどん入ってきます。
4
新しい時代の幕開け
-1
あまりにも大きな
蘇我
(
そが
)
氏の力に脅威を抱いた
中大兄皇子(天智天皇)
(
なかのおおえのおうじ(てんちてんのう)
)
は、国を正しい方向に導くためには、
朝廷
(
ちょうてい
)
中心の政治にする必要があると考えました。
4
新しい時代の幕開け
-2
意を決した
中大兄皇子
(
なかのおおえのおうじ
)
は
中臣鎌足
(
なかとみ の かまたり
)
と共に、朝鮮半島からの使節を迎える儀式に乗じて、
蘇我入鹿
(
そが の いるか
)
を討ちました。 その父で大臣の
蘇我蝦夷
(
そが の えみし
)
も自殺し、邸宅は焼失。
蘇我本宗家
(
そがほんそうけ
)
は政治の表舞台から消えました。
乙巳の変
(
いっしのへん
)
(
大化の改新
(
たいかのかいしん
)
) からまもなくして、日本で初めての
元号
(
げんごう
)
が定められ、
皇極天皇
(
こうぎょくてんのう
)
の4年を改めて
大化
(
たいか
)
元年としました。
4
新しい時代の幕開け
-3
朝廷
(
ちょうてい
)
を中心とした改新政治を行った
天智天皇
(
てんちてんのう
)
が病に倒れると、
天智天皇
(
てんちてんのう
)
を支えていた弟の
大海人皇子(天武天皇)
(
おおあま の おうじ(てんむてんのう)
)
は、後継者争いの混乱を避けるために吉野へと身を隠します。
4
新しい時代の幕開け
-4
天智天皇
(
てんちてんのう
)
が亡くなると、後継ぎは息子の
大友皇子
(
おおとも の おうじ
)
か、はたまた弟の
大海人皇子
(
おおあま の おうじ
)
かで世論が二分します。 その後、
大海人皇子
(
おおあま の おうじ
)
は、
大友皇子
(
おおとも の おうじ
)
を後継者として推す臣下らが自分を討とうとしていることを知り、兵を挙げます。
4
新しい時代の幕開け
-5
そして対抗する
大友
(
おおとも
)
軍を制圧し、
大海人
(
おおあま
)
軍が勝利しました。(
壬申の乱
(
じんしんのらん
)
)
5
国家日本の曙
-1
この戦いに勝利した
天武天皇
(
てんむてんのう
)
は、都を
飛鳥
(
あすか
)
に
遷
(
うつ
)
し、
朝廷
(
ちょうてい
)
を中心にした改新政治をさらに力強く推進しました。天皇自らに政務を集中させ、日本の国をしっかりと統治しようとしました。
5
国家日本の曙
-2
天武天皇
(
てんむてんのう
)
は、役人の位を明確にして、能力のあるものを積極的に重用するようにするなど、新しい制度を確立するために法律や仕組(
律令
(
りつりょう
)
)の整備にも力を注ぎました。
5
国家日本の曙
-3
志
(
こころざし
)
半ばで
天武天皇
(
てんむてんのう
)
はこの世を去り、そのあとを継ぐ
皇后
(
こうごう
)
の
持統天皇
(
じとうてんのう
)
が即位しました。
持統天皇
(
じとうてんのう
)
は、
飛鳥浄御原令
(
あすかきよみはらりょう
)
を完成させ、さらに発展させた、
大宝律令
(
たいほうりつりょう
)
の
編纂
(
へんさん
)
も進めました。
5
国家日本の曙
-4
天武天皇
(
てんむてんのう
)
の思いに寄り添うように、
持統天皇
(
じとうてんのう
)
はさらに、戸籍の整備や、国の中心となる都(
藤原京
(
ふじわらきょう
)
)の造営を行い、日本は国家としての歩みを始めることになりました。
さらに、繁栄を誇る中国(
唐
(
とう
)
)へ使節を送り、先進文化を積極的に取り入れて、国家としての日本の基盤を固めることに邁進していきます。
日本書紀の歴史物語に続いて、現在に至るまでに、さまざまな歴史が刻まれましたが、日本書紀に記された時代にできあがった日本という国のかたちは、その根本は変ることなく、わたしたちの時代にまで伝えられています。
2020年には日本書紀が成立して1300年になります。
この機会に、国を創りあげようとした古代の人々の想いや願い、そしてそれらを下支えする熱量を感じてください。
古事記と日本書紀のちがい
ドラマ日本書紀
本ホームページは「日本書紀」などに記された舞台を網羅するものではありません。
人物のイラストについてはイメージで表現しており、学術的な正確さを追求するものではありません。
本ホームページは正確さを期して作成しておりますが、作者の主観に基づいて制作している部分も含まれますので、見解・学説等の相違についてはご了承ください。